初めまして、ダイチです。簡単に自己紹介すると
「2年以上稼げなくて、ようやく稼ぐ側に来た人間」
って感じです。
まあこれだけだと何のこっちゃだと思うので、
詳しく自己紹介させてください。
Contents
- 1 はじめに
- 2 ダイチの生い立ち
- 3 僕がビジネス初心者に戻ったら、キッチリとビジネスの基礎を学ぶ
- 4 改めてコンセプトのおさらい
- 5 追伸
- 6 コンサルティングについて
はじめに
僕はこれを書いている8月に21歳になり、専業としてインターネットビジネスをしています。
大学にもいかず就職もせず、様々なビジネスを経験してきました。
そして現在は仕組みを作りを中心に行い、夢に向かって突き進んでいる最中です。
今でこそ
- 大学行かなくて良かった
- 就職しなくて良かった
- 資格勉強しなくて良かった
と思っているのですが、かつては超超安定思考で
良い大学に入って良い就職先に行くことが大正義
と思ってたんですよね。
それがあることをきっかけに「全然安定じゃないな」と気づきまして、
なんだかんだありながらインターネットビジネスをしていて
- 20歳にして月収100万円を物販で達成
- お金だけでは幸せになれないと気づき、自動でお金が稼げる仕組みを構築している
という感じです。
今後は仕組み構築を最優先しながら、学んだりコンサルしたりをしつつ、最終的には
「月収300万ほどが仕組みから出ており、お金はもちろん精神的にも不安がない状態を達成する」
予定です。
「え?いやいやいや、何々詐欺師なの?20歳で月収100万円って、ありえないっしょーうさん臭すぎて無理」
そう思われるかもしれません。
今思えば、少し前の僕もそうでした。
今のあなたとおなじように、稼いでいる人のプロフィールを見て
「はいはい、詐欺詐欺、お疲れ様でーす」
と思ってましたから笑
この話を知らない人にしたところ
「20歳で月収100万円って人生勝ち組じゃないですか」
「優秀だったんですね」
「親とか知り合いのコネがあったから稼げたんですよね?」
と言われます。
そして、そういわれた僕は一言
「当たり前じゃないっすか!じゃないと成功するわけないですよ!」
・
・
・
とは言わず。。。
というか、むしろ僕は全く恵まれていると言えない環境で育ってきました。
というのも、人脈・お金・知識、起業に必要な知識や除法といったものは一切持っていませんでしたし、親だって普通の公務員です。
一般的に「公務員は稼いでいる」と思われるかもしれませんが、うちはそんなこと一切なかったです。
引っ越しが多かったがゆえに常に「金がない金がない」と口癖のように言う両親のもとで育ちました。
なんだったら祖父母や周りにいる大人、全員が口をそろえて
「金がない」
といいまくるような田舎で育ったため、まーじで金も知識もないただのアホだったわけですね。
そんな基準で育ってしまったダイチ少年は、すべての物事をお金を基準に判断するようになりました。
そして、お金にがめつい、ことごとくケチな人間になりました。
- 自動販売機が高いと言って家から水を持っていく
- 外食が高いと言い、100円おにぎりですませていた
- 服がもったいないからと、ボロボロの服をずっと着続ける
- 友達とゲーセンに行っても無駄だからと100円も使わずただいるだけ
以上のような生活の影響を受け、田舎特有の環境になじめなかったが故に性格が三重四重にもひねくれた人間になってしまったのです。
もう少し昔の自分を詳しく紹介しますと
- 小学校2年生~高校3年生の夏前まで太っていた
- お金、体系、自分の見た目に多大なるコンプレックスを抱いていた
- そんな状態のため、コンプレックスの塊になっていた
- そんなコンプレックスを隠すため、人にも自分にも嘘をつきまくっていた
- 優等生を演じることに必死になり、自分を見失っていた
- 高校受験に落ちて、現実はクソゲーだと言いまくり、ネットゲーム漬けの日々を送る
- 思春期うつになる
- 人を信用しないし、それによって人から信用されない
こんな感じです。
僕がそうだったのでわかるのですがこのようにひねくれた人ってひたすら自分に自信が持てません。
そして、自信がないせいで見栄を張ってしまいます。さらに、中身ではなく外見で勝負しようとします。
ですが、太って頭も大して良くない、そんな僕は良い子を演じることで自分の自信を保ち何とか自我を保っていました。
こんな僕が、中身の一切ない人間に育つことは、安易に想像できますよね?
「君はどうしたいの?将来はどんな道にすすみたいの?志望校は?」
聞かれてもあるはずがありません、中身がないのですから。唯一あったのは、金持ちになりたいくらいでした・・・苦笑。
あなたならこんな人間どう思いますか?関わりたいと思いますか?当然ながら、関わりたくないはずです。
こうして嘘で自分を塗り固めた結果
- 人から認められないのが苦痛
- 人に意見を言うことができない
- 嫌な思いをしたくない
- 失敗して恥ずかしい思いだけはしたくない
- 肉体的にも、精神的にも、傷つきたくない
といった、承認欲求が絶望的に高く、
挑戦する楽しさや頑張ることで感じる苦痛、
そしてその先にある素晴らしい達成感を味わうことができずに学生時代を終えました。
そうして周りに擬態し、前に出ようとせず、普通であろうとした結果、
何物でもない、何もできない、何も知らない、何も目立たない
自分が何をしたいのか一切わからない人間となってしまいました。
このように一見絶望的な状態まで追い込まれた僕ではありましたが、それでも辞めず、諦めず、進み続けた結果現在では
- 月収100万円を物販で稼ぎ
- ブログからも収益が上がり
- Youtube動画を作ったり
- ブログを書いたりしながら
- 様々なメディアを構築し
- 稼ぐ人から飯に誘ってもらえるほどの興味を持ってもらい
- 友達に「学生時代で長く付き合える人間はお前くらいしか思いつかない」と言われたり
と、自分の成し遂げたい未来に向けて日々自由への道を歩み続けております。
誰かに認められたいと思いながら周りを気にし、平凡であろうとしていたあの僕が、今では積極的に自分の考え方を世界へ発信しているわけです。
ここまで見てくださったあなたならもうお分かりでしょう
ダイチは決して一握りの”秀でている人間”ではない
ということに。
高校受験からも逃げ、バイトからも逃げ(高校生の頃、焼き肉屋のバイトを4日で辞めたほどの人間です苦笑)挙句の果てに自分がなかった。
いわゆるインターネットの世界にいる
- 3か月で月収100万円達成しましたー!
- 1年で1億円稼いじゃいましたー!
- 何もせずに500万毎月稼いでいます
- 20代にて、人生セミリタイアしてます
というような、すごい人ではないわけです。
そして、自分でいうのは悔しいのですが、このブログを見てくださっているあなたよりも確実に劣っていた人間なわけです。
では、なぜここまで絶望的であった僕が今現在このような立ち位置にいて、知識を得て、稼げるようになったのか?
このブログでは、その物語を伝えており、どうやったらあなたが同じところまで登ってこれるのかを発信しているわけです。
このブログの理念は
Invictus Life
~進撃、真の自由を掴んだ先へ~
です。Invictus とは屈服しないという意味。この世界ではなぜか、
- 優秀になろう
- 頑張ろう
- 人よりも努力して前に進もう
- 誰かのために頑張ろう
と思えば思うほど、自分が理想とする未来から離れていくという、不思議な現象がおこります。
そしてどんどんあきらめ、
「それが普通だ」
「どうせこんなもんだ」
「これが現実だ」
「自分なんて」
となり、自分という魅力を失い、自分を失った
「運命という見えざる者に屈服した、空っぽの自分」
になってしまう。少なくとも僕はそうでした。
だが、僕は幸運にもこんな自分を変える事が出来ました。そして、同じように悩む人へ伝えたい、
目の前の見えない敵に屈服しない限り、人生はいくらでも好転する
という事を。僕の理念には
権力に、上司に、親に、時間や年齢に、環境に、学校に、友達に、人生に屈服しそうになった時、また一度屈服してしまっても
何度でも進め
迷わずに足を止めずに
進撃し続けろ
その先に、理想とする未来は待っている
真の自由を掴んだ時、あなたの人生は始めてスタートするのだ
という思いが込められています。
あなたは「Invictus Life」屈服しない人生を歩めていますか?気づかないうちに何かに屈服してしまっていませんか?
- これに逆らうと居場所がなくなる
- 首になるのが怖くてなかなか間違っていると言い出せない
- もう歳だし・・・時間ないし・・・といい、挑戦を避けている
- 今このコミュニティから抜けるとやっていけるか不安で中々やめることができない
- 先生に言われたことを守ったり、学歴に固執したりしている
- 嫌われたくないと、友達にヘラヘラしてる
僕は様々なものに屈服し、自由とは縁のない生活をしてきました。
しかし、僕はある時をきっかけに進撃を開始しました、屈服する自分が嫌だったのです。
真の自由を手に入れ、鳥かごの中から飛び出し、自分の知らない世界へ行きたいと心から望んだのです。
知らない世界でたくさんの経験をし、今という人生を本気で楽しみたいと感じました。
そんな僕自身の理念を達成するためには
- 金を稼ぎ
- 自分の自由に使える時間を増やし
- 明日におびえたり絶望を感じるうつ状態ではない、真の意味で健康的な心を手に入れ
- 健康な体で自由を謳歌する
必要があります。つまり
- 経済的な自由
- 時間的な自由
- 精神的な自由
- 身体的な自由
この4つの自由度を上げていくことこそ、今の僕が「人生に屈服しないため」そして「真の自由を手にいれるため」にやっていることなのです。
僕はこれまですべてに屈服し、自由とは正反対の人生を送ってきました。
その中で、つらい体験や悔しい体験、ひどいときには「死」すら意識してしまうところまで落ちました。
しかし、皮肉な話なのですが、僕の人生の悩みのほとんどはお金で解決できてしまうものばかりです。
人はお金がないだけで、死を意識するところまでいってしまうのです。
これだけは言わせてください、綺麗ごと一切抜きで言わせてもらいますが世の中お金である程度の事は解決できてしまいます。
そして同時に、お金だけでは解決しない事があることも事実です。
だからこそ、お金で解決できることはサッと解決し、
お金で解決できないことを楽しみながら人生を過ごすべきです。
このブログでは、僕の経験から得た学びや考え、世の中で普通に生きていたら絶対に出会えないような知識、具体的には
- 人生に屈服しないために僕がやっていること
- 本当のお金持ちになる方法
- 自分の自由な時間を得るための考え方
- 死を意識してしまうほど疲弊した僕が心を復活させ、豊かにしてきた方法
- バイトでミスを連発していた僕が、月収100万円を達成するために行ってきたこと
- 4つの自由度を手に入れ、あなたがどんな状態にいても人生に屈服せずに楽しく生きるための方法
を、ビジネスと絡め、あなたでも実践できるように書いていきます。
ちなみにですが、人の脳は「物語」を理解するために作られています。
なので、僕の過去の経験をあなたが知ることで、
「ブログの内容をより理解でき、自由へぐっと近づくことが可能」
になります。
ですので、僕の過去の物語を書いていきます。
ダイチの生い立ち
僕の生い立ちについて、時間を区切ってお話していきます。
小学生編、挫折の連続で人間不信に
まず始めに、僕は3つの小学校で小学生生活を送りました。
- 1年生
- 2~4年生
- 5~6年生
まずは1年生の頃の話です。
1年生のころ
このころは、だれとでも仲良くなれると信じていました。
みんなが僕を受け入れてくれて、僕もみんなを受け入れて、楽しくお勉強ができる!
そう信じて疑わなかったのです。
そして、入学してから無事に友達もでき、最初は楽しい時間をすごしていました。
しかし、その楽しい時間も長くは続きませんでした。
僕が友達だと思っていたやつへ、いつものように「ねえ、帰ろ~」と話しかけた僕、ですがその日はなぜかシカト。
そのままてくてく帰っていきました。
「機嫌が悪かったのかな?」
と思った僕は次の朝話しかけます。おはよー、って。しかし、それも無視。
「なんで無視するの?」
といっても冷たい目線を投げかけてうるせーの一言、まったく意味が分かりません。
そして、なぜかその日からクラスの人全員からシカト、またはウザがられる日々を過ごしことになるのです。
なんというか、日本特有のあれです、空気間でハブっていじめるってやつです。僕はそれの餌食になったわけです。
この時、人間とはこんなにも醜いことをする生き物なんだと悟りました、今思えばこれがひねくれダイチ形成のスタートだったわけです。
この日から、人を信じることを辞めました。
2~4年生のころ、親の仕事へ島へ行き、全校生徒4人の学校で心を取り戻し、引き換えに太ってしまう
1年生のつらい時期を終えた僕は、親の仕事の都合で島へ引っ越すことになりました。ちょっと面白い環境でして
・親が教頭先生
・全校生徒4人のうち2人が僕と妹
・母親が事務の先生の代わりに仕事をするときがたまにあった
と、おはようと家で4人で朝ご飯を食べた数時間後に学校に家族全員いるという、何ともおもしろい体験ができたところでした。
懐かしいな~学校って気分じゃなくて遊びに行く感覚でした笑
さて、島へ行ったことで僕の傷はいえ、また人を信用できるようになってました。
地域の人も友達も暖かく人間味に溢れ、知らない人からも
「おはよう~、行ってらっしゃい!学校頑張ってね」
と挨拶をされるような環境だったからだと思います。
何一つ不自由ない、楽しく充実した日々を送ってました。
そして、ご飯がおいしくてめっちゃ馬鹿食いしてました・・・。
そんな日々を続けること1年、3年生のころにはダルマ体系になってました。
「西郷どん」
というあだ名をつけられたくらいです笑
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西郷ドンというのは鹿児島の偉人で、明治維新で活躍した歴史上の人物です。社会で出てきたのではないでしょうか?
眉が太くて太っていたので、こう呼ばれていたのだと思います笑
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そんなこんなで暖かい環境で精神的に安定し、丸々と太ったダイチは本土へ戻り、再び挫折をすることになるのです・・・。
5,6年生のころ、鹿児島本土へ引っ越し、絶望再び・・・
小学5年生、島から本土へ引っ越した僕は新しい環境へなじもうと必死でした。
ですが、そこには想像以上に僕にとって過酷な生活が待ち受けていたのです。
- デブいじり、体型いじり
- そこから派生して、舐めた態度をとられる
- 何を言っても冷たい目で見られる
- グループ活動でハブられる
田舎の学校、それも小学校5年生、すっかりコミュニティの輪が出来上がっており、僕が入るスキは全くなかったのです。
この状態は卒業まで続き僕の承認欲求を肥大化させました。
今思えばこのころからゲームをするようになりましたね、現実が嫌でゲームに逃げてたのかもしれません。
そうして卒業し、中学進学へと話は進みます。
中学入学~3年生まで、どんどん肥大化する承認欲求とコンプレックス、そして感情は・・・
今思い返してもこのころは闇ですね、詳しい話は書籍で書いていこうと思います。
簡潔に話すと
- 人とのつながりを求めるが、受け入れてもらえなかった
- それどころかさげすまれ、心がえぐられる
- 肉体的いじめとかはなかったが、精神的に追い込まれる
- 学校を休みたいと親に相談するも、取り合ってもらえない
- その後見かねた親が休んでも良いと言ってくるが、すでに「これ以上何かしたらもっと嫌な事されるから余計な事しないで」状態になる
- 毎日最低気分で学校へ行く(休んだり親にチクったりして目立ちたくなかった、目立ったらもっといづらくなるから、とにかく時間が早く過ぎれば良いのにと毎日のように祈っていた)
という感じです。
この経験を通じて僕は、人とのつながりを断ち、人間は信用できないと感じ、心を閉ざしました。
本音を言わず、だれにも相談せず(できずが正しいですね)、毎日地獄のような日々、自分の人生に一切の希望を見いだせずに助けも求められないくらい疲弊してました。
そして、そんな2年が終わり、再び親の仕事関係で引っ越しをすることになりました。
初めての本気の挑戦、そして鬱へ・・・
転校した中学校では、それなりに楽しい日々を過ごしてました。
今思うと全然精神的に安定してなかったですが、その時はかりそめの楽しみを中学生の僕なりに楽しんでましたね。
自分の傷に心をとざしながら・・・。
そして、僕は6月から受験を意識し始めました。
「県内No2の公立高校に行きたい」
勉強にすがり、優等生でいることが唯一自分を保つ方法だった僕はこう考えていました。
父親にも母親にも認めてもらえる、それって僕にとっては勉強だったわけですね。
そして僕は8月、塾へ行きコース選別の模試を受けます。結果はというと・・・ひどい有様
「目標の学校はギリギリだと思います」
と言われました。
しかし僕はこの学校へ行くことになぜかこだわり、無理を言って塾のTOPコースへ入れてもらいました。
最初はビリだった僕でしたが、環境とは恐ろしいもので、みるみる勉強へ目覚めました。
量をこなしてカバーしていたので、ほぼ一日中勉強してましたね。
昔の僕にはぜひ「もう少し勉強法を学べ」とアドバイスしたいです。
それとともに「量をやってるのはえらいぞ」と心からほめてあげたいと強く思います。
話がそれました。
頑張った甲斐もあり、気が付いたら僕は塾で2番目の成績まで登っていました。
友達との遊び、長期休み、正月、すべて捨てて勉強だけに取り組んだからです。
そして、目標の高校もギリ狙えるかな~となり、試験当日を迎えたのです。
結果はというと・・・タイトルから察する通り落ちてしまいました。
試験結果と塾のデータを合わせるとあと7点取れてれば合格していたようです。普通は悔しいですし、泣きますよね、これだけ頑張ったのだから。
しかし、僕が泣きませんでした、結果を聞いたときに、じゃあ次に行こうと考えたのです。
少し話がそれますが、ビジネスをしていくうえでうまくいかないことってたくさんあります。
そしてうまくいかないという結果を見て修正していくことで大きく稼いで自由を手に入れることが可能となります。
一見、この時の僕もこのように見えますが、実際は違いました。
この時の僕は「頑張って失敗した自分」を認めることができずに、あえて見ないようにして蓋をしてしまいました。
これが尾を引き、高校生の頃のうつ病につながってしまったのです・・・。
高校入学~不登校になりうつ診断、社会のレールを外れる
失敗したことを認めたくないため、失敗した自分を受け入れたくなかった僕は、さらに頑張って失敗した自分を乗り越えようと試みました。
入学一か月前に、塾の「高校授業先取りコース」というものに入り、数学と国語の予習をしていたのです。
そして入学。
入学後、2か月分の予習をしていた僕は、授業に余裕を感じてました。
「なーんだ、余裕じゃん」
そう思い、受験時に我慢していたゲームをむさぼるように毎晩毎晩遊び続けてしまったのです。
そうすること2か月、「高校ってつまんねー」となってしまいました。
そこで、ソフトテニス部へ入部します。これもまた僕の性格をゆがめる要因となってしまったのですが・・・。
高校のソフトテニス部といえば、中学からやっていた人が大半。
そして僕の行った高校は私立で、その年はインターハイに進む選手がいるほどの実力校でした。
- 途中入部により、すでに出来上がった輪の中で浮く存在になる
- 途中入部のくせに超初心者
- おまけにゆがんだ性格とガッチガチに固まったプライド
- うなぎ昇りで上昇する承認欲求
こんな状態の僕が部活になじめるはずもありません。
何とか頑張って2年生の夏まで続けましたが
- ランニングをすれば最下位
- 部活内練習試合をすれば相手のレベルが高くて、自分のプレイを馬鹿にされる
- 挙句の果てにため息、そして軽蔑を向けるような視線
- 試合は一回戦負けが普通
こんな僕にはいつしか負け癖がついてました。
もはや自分から練習しようとすら思えない状態まで追い詰められてしまっていたのです。
そんなこんなで、勉強も部活もどんどんできなくなった僕は、ネットに居場所を求めました。
そうです、オンラインゲームです。
毎晩のようにPCにかじりつき、データの中の勝負に没頭しました。
MMO、チャットゲーム、FPS、MOBA、レーシングゲーム
様々なゲームを心の底から楽しんでいました。
そしてある日悟るのです
「俺って、なんのために生きてるんだろう・・・挑戦せずにただただ屈服し、逃げてるだけじゃねえか・・・」
と。
そうして2年の冬には不登校気味になっていました。
それからというもの、毎日やる気もせず一日ずっと惰眠をむさぼる生活をしてました。
しかし、僕はどこか穏やかな気分さえ感じていました。
「やった、もう頑張らなくて良いんだ」
と。
そして高校3年の春、午後のことです。僕は精神科医の先生を訪ねることになるのです。
思春期うつと診断されてから見つめなおす自分の人生
僕は先生に話しました、今までの経験、考えてきたこと、今考えていること。
そして、先生に思春期うつといわれました。
普通は認めたくないと思うのかもしれませんが、僕はなぜか
「あ、、、良かった、俺はうつだったんだ」
と、ホっとして受け入れたのを覚えています。
おそらく僕の心は限界だったのでしょう。
本当は頑張りたいのに頑張れない、逃げる癖がついてなかなか立ち上がれない、
そうしてどんどん上に上がれなくなる、
まるで重力に引っ張られるように、
鳥が羽を怪我して再び飛べなくなるように。
そして、そんなダメな自分を心の中で「お前はダメだもっと頑張れ」と体育会系のノリでいじめ続けた結果、僕の心はボロボロだったのです。
やっと休める・・・。
僕が感じたのはその安心感だけでした。
そうして、通院して薬を飲みながら半年ほど悩みました。
- 自分はどうしていきたいのか
- 自分はなぜ今まで頑張ってきたのか
- 自分はこれまで何を思い、これからどうするべきなのか
もちろんすべてうまくいったわけではありません。
ゲームに逃げる日もあったり、一日中起きれない日もありました。
最初の頃は1日10分も外に出ない日々が続きました。
それでもどうにかしたかった僕は、インターネットに答えを求めました。ブログやYoutubeで調べまくりました。
- お金を稼ぐ方法
- 鬱を治すほうほう
- 自信を取り戻す方法
- 勉強を頑張れる方法
- 頭を良くする方法
そうして高校3年生の夏、一時的な進路が決まりました。
「よし、まず小2から太り続けている体をどうにかしよう、ダイエットして自信を取り戻そう、そして通信制の高校へ行き、卒業資格だけ取ろう」
と。
それから少しずつ僕の人生は進み始めました。
それは人類の進化の歴史、今現在の周りの日常から見たらすごく小さな、それこそアリが一歩進むような小さな一歩だったと思います。
しかし、僕にとって、あの決断は過去の進んできた道であり、今であり、未来へつながっていく大きな進撃の一歩となったのです。
ダイチという人間が人生逆転をかけた大きな一歩を踏み出したのです。
そしてそれは、初めて自分自身で踏み出した、人生の冒険者としての第一歩だったのです。
冒険者ダイチの初めての冒険、ダイエットへの挑戦
これまで幾度となく三日坊主であきらめてきたダイエット。
- 筋トレが良いと聞けばつらい筋トレを続け
- 有酸素運動が良いと聞き、ランニングとウォーキングを毎晩10km欠かさず行い
- 炭水化物がだめだと聞けばコメをお茶碗半分に減らし
- お菓子が良くないと聞けばポテトチップスを食べるのを辞め
そうすること数か月、僕は
「え、ダイチなの?どうしたのー?」
と、会う人会う人に言われるようになりました。
しかし、コンプレックスレベル-10000だった僕は、一見大成功といえるダイエットを達成しても-9999程度にしかなりませんでした。
そうです、僕はわずか17歳にしながらあまりにもひどいコンプレックスお化けだったのです。
その次に考えたことは「金を稼ごう、金があれば一気に自信がつくんじゃねーの」でした。
初めてのバイト~高校卒業まで
お金を稼ぎたいと思った僕は、ひたすらネットを使って調べました。
そして、インターネットビジネスというものがあり、せどりとアフィリエイトというのがあることを知ったのです。
おお、世の中面白いなと感じたなぁ~、懐かしい。
どうやらアフィリエイトは資産になる方法と資産にならないものがあるらしい。
そして、資産になるものをやるのが良いらしい。
よくわからなかった僕はその知識を付け、
- 初期投資も月2千円もあれば充分であること
- ただし、知識に投資が必要である、つまり勉強代が必要であること
を知りました。
そして人生初の焼き肉屋のバイト。
僕はいろいろあり、4日で辞めることになったのです、詳細は別の機会に話すことにします。
その次に、コンビニバイトを始めました。
コンビニバイトはなんだかんだ6か月続けたのだが、ここも実は波乱万丈あり、僕は涙を流す経験もしました。それも別の機会に詳しく話すとします。
なんだかんだあり、コンビニバイトとアフィリエイトを続けながら、高校を無事卒業する事ができました。
ノウハウコレクター~再びバイト始める19の冬
高校を卒業した僕は、再び大学進学を目指すかインターネットビジネス専業で生きていくか迷い、後者を選びました。
とはいっても、この頃はブログをまったくかけずに、稼げない日々が続きました。
そのひどさ、月収10円、時給何銭だろう?というレベルでしたね。
2か月もすれば、僕の決意はどこかへ消え、バイトでためた資金もつき、再び某牛丼チェーン店でバイトすることとなってしまいました。
そうして、バイトをしながら趣味程度にビジネスをするという時間を、20歳になるまで過ごしました。
もっと頑張ろうとこのころの自分には活を入れたいですね・・・^^;。
そして、2017年8月1日、20歳になった日。このころから再び僕の人生が動き出したのです。
やばいと危機感を感じた20になった夏、そして物販の世界へ・・・
このままじゃやばいと思った僕は「まずは物販で稼ごう」と決意しました。
そして、お金がないなりに10万払い。せどりを始めることにしました。
結果は。。。一か月で8回仕入れをして利益は2万円。
せどりをしたことがある人なら、この数字がいかにひどいものかわかるはずです。
時給にして「500円」、これは仕入れだけの数字で、納品やアマゾンへの登録あわせたら時給200円あるかわからないです・・・。
そして、これで稼げないと感じた僕は、次に9万円払って無在庫転売を始めました。
結果としては・・・一か月目で5万円、2か月目で15万円稼げました。
僕のバイトの記録は一か月で利益12万だったため、人生で初めてバイト以上に稼いだ時でした。
感動でした、自分が15万稼げたのか!?と。
そのあとに使っていたアカウントが規制を食らい、稼げないときが数か月続く事になるのはまた別の機会に・・・。
そして、年が明けて2018年5月、アカウントが使えるようになった僕の月収は40万、貯金20万円で東京へ出てきたのです。
東京へ引っ越し、そして念願の・・・
東京に出てきて、今まで以上に、というか人生で初めて本気でビジネスに打ち込みました。そして、その時がきました・・・。
- 受験に落ちる
- うつ病になる
- 通信制卒業
- 勉強、部活、すべてから逃げ続けてきた
僕が、2018年6月、念願だった月収100万円を達成することができたのです。
現在の僕
僕は才能がない、センスもない、人脈も情報もなかったという人間です。だから、自分の目標を達成するために、時間がかかってしまいました。
そんな状態だった僕が今感じることは
月収100万円はだれでも達成できる、なぜなら情報を知っているか知らないかだけだから
という事です。
知ったら誰でも達成できるし、だれでも稼げるのです。
僕はだらだらしてしまったが、あなたが本気で取り組めば達成可能なことなのです。
僕がビジネス初心者に戻ったら、キッチリとビジネスの基礎を学ぶ
今の僕は、
「ネット上にひたすら資産となる仕組みを構築しまくっている」
状態です。
そして、あなたが時間もお金も手に入れたいなら必ずこの状態にならなければいけません。
今は、どうすれば良いか分からないと思います、
しかし、それで構いません。
僕は良く、
「ダイチさんの人生壮絶ですね、でも稼げたってことはやっぱり優秀だったんですね」
と言われます。
しかし、僕は文章も書けなかったし、
人前でプレゼンするのも苦手でした。
キーボード入力もめちゃくちゃ遅かったです。
小学校、中学の同級生と成人式の時にあった時は
誰お前?
と、全員に言われたレベルです。
それくらいひどかったという事です。
自分がダメ人間だと認めたくなく、プライド高く、
コンプレックスの塊でした。
しかし、そんな人間でも生まれ変わることは可能なのです。
それは、少しのきっかけと知識、
これが組み合わさるだけです。
そしたら、人生は一気に変わっていきます。
という事を伝えたいのです。
自分が動かずとも、仕組みが勝手に人に価値を提供する。その価値を感じてくれた人がお金を払ってくれる、しかも感謝されながら。
では僕はどうするかというと、もっと学びまくって知識を付け、さらに提供できる価値を増やしていくわけです。
そうしてたくさんの人の役に立ちながらお金を稼ぐ。こんなに素敵な仕事を僕はやっているし、これからもやっていきます。
僕は決して二度と屈服したりしない、ひたすら進撃し、人に価値を与えまくり、どんどん進化成長して上を目指していきます。
そして、あなたに追いかけてついてきて欲しい未来でもあります。
あなたも、僕と一緒に「Invictus Life」を送りませんか?
ダイチの物語はこれからも続く。。。
改めてコンセプトのおさらい
いかがでしたでしょうか?
「Invictus Life」
というワードを頭に入れながら読むと、読みやすかったのではないでしょうか?
僕はずっと、屈服して逃げる自分を変えたかったのです。
最初はダイエットから始めました、しかも毎日続かず挫折の連続の毎日でした。
しかし、続けていれば、進撃し続ければ未来は確実に変わるのです。
僕は昔、結果を出す人を妬んでいました。
「あいつには才能があるから」
「あいつはずるをしているんだ」
「もとからできるやつは良いよな~」
と言って。
言い訳ばかりして逃げ続けていました。
しかし、そんなダサい人生を送っていた僕ですら、こうして結果を出しながら、今もなお自分の目標をつかみ取るため、進撃してます。
現在の日本は、ビジネスで成り上がることが可能な素晴らしいインフラが整っています。
この状態で挑戦しないのは逃げです、昔の僕と同じです。
人間、いまの生活の延長線上に成功はありません。
どこかで自分の考え方や行動を変えるしかありません。
そして、行動だけだと僕のようになるので、学ぶことも大事です。
学びと行動を一緒に行っていくのです、学びだけだとノウハウコレクターになるので。
行動して夢をつかみ取るのも、
言い訳を続けて立ち止まり続けるのも
全てあなたの選択です。
学んで行動学んで行動、その未来には自由な世界が広がっています。
正しい知識を学べば、ぶっちゃけネットビジネスの世界では圧勝できます。
ライバルが学んでいないからです。
これこそが「95%の参入者が稼げずに消える」理由です。
そして、インターネットビジネスは飽和したとか言われているのに、稼げる人がいる理由です。
確かに認めます、この世界には詐欺的なことをする人がいることも。
僕自身、500万前後のお金を情報に投資してきましたが、中には全然使えない情報をつかまされたことだってあります。
一度や二度のことではありませんよ。。。
それでも僕は屈服しなかった。
そして思った、「正しいやり方を伝えていける人間になりたい」と。
僕は、僕のように遠回りをせずにすむ人を増やしたい、正しいやり方を伝えたいと思い、メルマガを発行しています。
メルマガのほうでは、より具体的な事をわかりやすく発信しています。
無料ですし、気軽に解除も可能です。
興味があろうがなかろうが、ぶっちゃけ登録推奨です。
メルマガ限定企画であったり、メルマガでしかお伝え出来ないような情報もあったりします。
今動きたいと感じたのなら、今動きましょう。やらないで後悔より、やって後悔ですよ。
あなたとメルマガで会えるのを楽しみにしています。
以上、ダイチでした。
追伸
僕の情報発信メディアについて、
貼っておきます。
コンサルティングについて
個人コンサルについては、
公式には募集しておりません。
ですが、熱いメッセージを送っていただいた方には、
審査後にコンサルする場合がございます。
値段や内容については、その人の状況によるので、
どうしても興味がある、人生を本気で変えていきたいぜって方は連絡下さい。
メルマガ登録後、返信いただければと思います。
以上、ダイチでした。
僕は20歳にして月収100万、最大では120万ほどを稼ぎました。
そして現在では、自動で入ってくる収入が30万~50万ほどあります。
こんな事を言うと怪しいですよね。
お前は才能があったからできたんじゃねーの?とも言われます。
ですが、僕はもともとビジネスが超絶上手かったわけでもなければ、
人と話すのが得意だったわけでも、
ましてや文章を書くのが得意だったわけでもありません。
そんな僕でも、稼いでみたら自信ついたし、
人の目を見て話せるほどにはなりました(昔は人の目を見れませんでした)。
また、ある理由で不登校で家に引きこもってニート生活をしてましたが、
改善しました。
プライベートが昔と比べると驚くほど充実しています。
このように書くと「異世界だな~」と思うかもしれませんが、
結局全て「慣れただけ」なんですよね。
どんな人でも慣れたら稼げますし、
学んでいけば自信を得る事も退屈な人生から脱却する事も出来ます。
僕ダイチがビジネスに慣れて、不登校でニート生活をしていたところから
どうやって稼げるようになったのかを下記記事では公開しています。
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